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2007年10月25日

貴ノ花という人物

最近、話題ですよね。。

父は元大関の貴ノ花健士、母は元女優の藤田憲子。兄はタレントの花田勝(元第66代横綱・若乃花)。妻は元フジテレビアナウンサーの河野景子。若乃花幹士(第45代横綱)は伯父(父の兄)。

入門当時からその優れた素質が話題となり、前評判に違わず数々の最年少記録を打ち立てた。新弟子検査時には「これは新弟子の体じゃない、今すぐ幕下でも通用する」と体作りの基礎ができていたことを検査を担当した親方から驚嘆された。兄若乃花とともに「若貴ブーム」を起こし、ライバル曙らと名勝負を演じた。優勝22回は歴代4位の記録であり、平成の大横綱と称されている。22回優勝を果たしながら期待ほどの優勝回数ではなかったとも評されるのは、若手の頃の期待感の大きさを表すものでもある。場所の序盤から中盤で優勝争いのトップに立てば独走する一方、千秋楽までもつれたときや優勝決定戦での敗退の多さが、「ここ一番での勝負弱さ」を印象付けることにもなった。このため「並の名横綱」との評価もある。ただ、一人横綱の時代が長かった北の湖や千代の富士とは異なり、同期に多くの外国人力士のライバルがいたことからも同列に評価することが困難であることも事実である。

現役中、受けて立つ万全の四つ相撲を得意とした。本来元々横綱としては普通なのだが、当時は千代の富士貢の先に出る相撲のために横綱像が変化しており、存在感はあってもずば抜けた力感や威圧感はないと評された事もあった。これに対し「基本に忠実であることが貴乃花の得意」「貴乃花は得意のないのが得意」と反論もあった。全盛時の相手に得意の技を出させずに寄りで完封する取り口は、まさにその通りのものであった。他方、同時代のライバル曙と比べ豪快さに欠けるとの評を気にして、叔父初代若乃花の必殺技だった「呼び戻し」を試みるなど、完成間近だった相撲を自らおかしくしてしまう一時期もあった。

一方で、良く言えば他者の評価に真摯な性格が負けを呼んでしまった事もある。千代の富士を倒した場所でその後なかなか白星が上がらなかったり、婚約場所になった1992年九州場所で序盤4連敗した例なども雑音に負けた好例といえよう。一時期相撲記者やカメラマンとの間で深刻な対立を招いたこともあった。師匠二子山や兄弟子の安芸乃島勝巳らの仲裁、助言もあって、こうした面は徐々に緩和される。

1994年11月場所後に横綱昇進が決定。11月23日に行われた伝達式で「謹んでお受けします。今後も不撓不屈の精神で力士として相撲道に不惜身命を貫く所存でございます」と使者に答えた。横綱として最初の2年近く(1995年1月場所?1996年9月場所)は他を寄せ付けない圧倒的な強さで、12場所中8場所をも制覇していた。特に1996年は年明けから3場所連続14勝。3月から9月場所では自身初の4連覇達成。9月は4度目の全勝優勝。当時24歳という年齢で優勝15回という実績や全く隙の無い完璧に近い彼の相撲内容を考えると、大鵬や千代の富士の優勝回数を抜くのは時間の問題であるとさえ言われていた。この頃が貴乃花が最も強い全盛期だったと言える。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2007年10月02日

福祉国家論について考察します

福祉国家論(ふくしこっかろん 英:Welfare State)は、国家の機能を安全保障や治安維持などだけでなく、経済的格差の是正のための社会保障制度の整備や財政政策、雇用政策も推進して、福祉国家を目指すべきとする考え方。福祉国家の対義語で、戦争国家(英:Warfare State)などがある。ともに第二次世界大戦でイギリスが連合国を福祉国家、枢軸国を戦争国家と政治宣伝したのが始まり。

石油ショック以後、社会保障の為の国家支出による財政の圧迫、あるいはそれまで取られてきた国営企業の非効率性(イギリス)、労使協調体制の後退(ドイツにおけるコーポラティズム)等による経済閉塞化が問題となった。その結果として福祉国家の行き詰まりが指摘され始め、新自由主義の台頭などにより、福祉国家を巡る議論は全否定もしくは礼賛のどちらかとなり、混乱をきたす。1990年にエスピン・アンデルセンが福祉国家に変わる新しい概念として福祉レジーム論を提起し、経済レジームとの連関でグローバル化への対応の多様性を論じた。

1979年にマーガレット・サッチャーが政権をとって以降、イギリスでは福祉国家の解体がおしすすめられた。カナダ・オーストラリア・ニュージーランドなどでも似た政策が推進された。これらの国はもともと典型的な福祉国家とは異なる政策が採られていたが、これら一連の改革以降、アメリカ化・福祉のビジネス化が更に推進されることとなった。

一方、北欧諸国では経済・社会の諸問題を解決するための改革が押し進められ、少子化対策への投資、社会保障制度の一元化などが行われた。これら北欧福祉国家の再編成は「福祉国家のバージョンアップ」とよばれる。